一滴のグレー

元社畜、在宅勤務11年目。好きに生きる。

春のせいにしたいけれど

春に大きく体調を崩しがちだ。

今まで生きてきて、ありがたいことに入院などの病気や怪我はないが、子供の頃から、頭痛、生理痛、PMS、肩こり、冷え、乗りもの酔いがひどい。加えて胃腸が弱い(特に小麦粉と油)のと、HSPの自覚がある。花粉症は大人になって楽になった。突発性難聴と喘息もあったな、そういえば。

もっと若い頃から色々気にしろよと思う体質のくせに、自分の身体と生活に全く興味がなかった、20代までは。「こんなもんだろ」と思っていた。30代に差し掛かろうというとき、当時SEで異常な働き方をした結果、生まれて初めて「あ、このままだと死ぬかも」と本気で思った。鈍器で頭の内側を15〜30秒間隔で殴られるような痛みが続いた、あのときに、やっと。

初めてその頭痛が訪れたときには既に有名な頭痛外来に通院していて、歯磨き粉みたいな味がする高い薬にやっと慣れた頃だった。自分含め頭痛のプロたちは、「頭痛が来そう」という段階で分かったりする(はず)。その時点でそのまずい薬を飲まないと効かない。飲み忘れて痛み始めたら鎮痛剤を服用したくなるが、止められていた。自分の場合は市販鎮痛剤を服用しすぎての誘発頭痛もあったらしいので。

そういう、タイミングが難しくて高い薬を頑張って試しても、その鈍器で殴られるような痛みは一向に治らず、どうにか時間を作って頭痛外来に行って長時間並び、診察してもらった。

帯状疱疹の一歩手前だった。

人より水疱瘡のウィルスが多いらしく、免疫が下がるとそいつらが暴れ出す。その症状は人によると思うが、私の場合は全部頭痛で現れる。偏頭痛とも、飲酒時の頭痛とも、天気頭痛とも、どれとも違う、殴られたり刺されたりするような後頭部の痛み。当時は、点滴と飲み薬で乗り越えた。

そのときから働き方も考え方も暮らし方も変わり、違う人みたいな生活をしているけれど、今でもその頭痛は時々やってくる。まぁこれは自分次第で、痛みが出る前に調整しろよという話ではある。分かっていても、匙加減が難しい。ついつい、いろんなことに夢中になって動いてしまう。アドレナリンが出ている間は痛みを感じないから。私をよく知る知人に、0か100の人間だと言われたことがある。否定できない。

そんな私の救世主が、鍼灸師の親戚。少し年上の彼女は、有名な鍼灸師に長く師事し、そのときからお世話になっている。危険信号を察知すると同時に連絡して、どうにかしてもらう。一昨日もやばい感じがしたので即連絡。全身手厚く施術してもらった。

過去に散々、薬に頼ってきたので、今はなるべく東洋医学に頼りたい気持ちが強い。もちろんそれは自分を顧みれる生活が前提で、休み休みできるからこそなので、今のスタイルを手放すわけにいかない。ありがとう、ボス。

親戚の自宅兼鍼灸院は隣の県。すぐ行ける場所ではないが、いつも、施術終わりに美味しくて健康的な夕ご飯をご馳走になり、親戚の近況を話したりする。その時間が好き。本当は3ヶ月毎くらいのペースで行けるのが理想だけれど、今回は半年以上空いた。

昨日の状態は酷くて驚かれた。それでも、これまでで1番(好天)反応が良いと言われて嬉しかった。かかり始めた頃は、2週間に1回くらいやらないとすぐ戻ると言われたし、ここ数年も忙しかったときは隔月でお願いしていたから、体調が安定してきたのだろう。よかった。

それでも、やっぱり春が1番危ない。なんだろうね、振り返るとだいたい大きく崩すのは冬から春になるとき。気圧が不安定になりがちだからか。ただ単に、自分の「そういうタイミング」が春に多いからなのか。そういうつもりないけれど、仕事の大きな切り替わりが3〜5月なの、多いな。過去のどれも、年度の切り替え関係ないのにな。そういう風に、乗りやすいのかな。

ひとまず、新しい仕事の初日までにすっきりできてよかった。GWいっぱいは色々片付けてゆっくりして、備えよう。気分的にもいいタイミングだった。春でよかったかも。実家から戻ってきたら、久しぶりに花を買いに行こう。芍薬飾りたいな。と思って、仕事で撮っていた3年前の芍薬の写真を探した。

新しい仕事の準備

ここ3ヶ月ほど、焦りを感じながら過ごしていた。それが少し落ち着いた。新しい仕事の可能性が見えてきたので。

現在の生活基盤になっているのは在宅勤務(正社員)の仕事で、もう10年以上。コロナで浸透したリモートワークだが、そんなことは関係なく最初から今のスタイル。IT系でインフラ側の構築業務に特化した、小さな会社。繋いでくれた前職の同僚にとても感謝しているし、うちのボスには頭が上がらない。

エンジニアでもない、営業らしい営業でもない、営業事務のような、エンジニアアシスタントみたいなことをしている。自分以外はエンジニアで、表向きは営業職だが新規開拓は基本的にないので、新卒当時に体育会系の営業を経験した身としては、今が営業職だとは言い難い。既存クライアントの窓口とか、ドキュメント作成とか、プロジェクト初期段階の調整とか、見積・請求対応とか、細々したことをまるっと。打ち合わせも時々参加する。まぁでも、内勤営業か。

とは言え、日中の拘束時間が少ない日の方が多いので、副業も5〜6年前からやるようになり、昨年までの4年は個人事業主として他の仕事も並行していた。そっちは完全に畑違いの、マーケティングとかデザインとか、オンラインサービスの運営。完全に副業のほうが忙しかった。

単純に仕事が忙しかっただけではなく色々とストレスもあったので、そこを離れてからしばらくは副業を探す気にもなれなかったのだけれど、ちょうど1年が経った頃、急に将来のへの不安と焦りが出てきて仕事を探し出した。それが今年の始め。

長らく、知人繋がりの仕事しかしていなかったし、勝手が分からなかった。なかなか思うようにいかず、実は詐欺のようなものに遭いかけたりもした。それも乗り越えての、今。令和の在宅ワークの現実を知った。

今回の結果で、ようやく次のステップに進めそうな兆し。嬉しい。嬉しくて、選考結果の電話を切ったあと、ストックを切らしていたビールを買いに行った。その夜は、関西の友人が電話越しに乾杯しようと言ってくれたので、深い時間まで呑んだ。

新しい仕事は業務委託で請け負うし、常に仕事をもらえる訳ではないと踏んでいる。それでも、副業であろうと望んだ結果が出ない時間の渦に居続けるのは、思った以上に疲弊するし、焦りばかりが募り、もっと条件を下げなければいけないのかと思うようになり、どんどん自信が奪われていく。職探しは、いつの時代もしんどい。そのしんどい状況から解放され、メンタルがとても楽になった。

先日「ラブジェネレーション」がTVerで配信されており当時好きだったので観たけれど、ヒロインの理子がちょっとした恋愛のいざこざで、突然、恵まれた環境の仕事を辞めていて時代を感じてしまった。観ていた時は学生だし何も思わなかったのもあるだろうけれど、当時はすぐに次の仕事が見つかったんだろうなぁ。

この週末から、しばらくはその環境づくりとトレーニング。すっかり放置していた少し前のMacbookをメインPCにするので、がっつりメンテナンスした。よほどでなければもう出番はないだろうと思っていたが、メンテナンスしたらまだ余裕で動いてくれた。誰かにあげたりしなくてよかった。

うまく仕事が繋がり、未来が明るくなるといいな。

リブランディングしたAPFR

フレグランスブランドのAPFR(アポテーケ フレグランス)がリブランディグされて、パッケージやらラインアップが新しくなった。より洗練された、というのは確かにそうかもしれない。下北沢に実店舗ができた時から、ショッパーや巾着、クローゼットタグなどは現デザインになっていたし、徐々に進んでいたのだろう。

でもどうなのかなぁ、ちょっと、馴染んでしまった感はあるかなぁ。世の、流行りの中に。きっと自分もすぐに今のデザインに慣れてしまうのだと思うけれど、前の方が「らしくて」愛着があった。好きだよ、好きなんだけど。

とはいえ、インセンススティック(お香)のケースのリニューアルは大歓迎。

上:新、下:旧。

APFRのインセンススティックは片方の端が竹串のようになっているのでお香立てでも最後まで焚ける。その竹の部分が短くなった。

これまでのはちょっと長すぎて、お香立てによっては灰が飛びやすかった。私は毎回少しカットしていたので、嬉しい。

全体の長さも少し短くなったからケースのサイズも比例したわけだけれど、嬉しいのはそこじゃなく、蓋である。

今まではコルクの蓋で、これはこれで可愛かったものの、いかんせん外れやすくて。私は横に置いて保管しているので余計に。毎回微妙なストレスだったから筒形の蓋でしっかり閉められるのは本当に嬉しい。ケースの色味も新しい方が好き。

インセンススティックのケースは分かりやすく質が上がっているし、おそらく他もそうなのだろうな。そうなのだろうけれど。はてさて。

ルームスプレーは容量も増えて大きくなってしまって、持ち運びしにくくなった(まだあるので買わなかった)。これまでのボトルを捨てないようにしなくては。

でももうここの香りのいくつかは、自分の暮らしに欠かせなくなっているので、リブランディングされようと買い続けるのだけれど。

 

人に出会う日

福岡の友人が東京に出てきていたので、会いに行った。とりあえずランチということで、場所やリクエストをもとに原宿のカレー屋、「YOGORO」へ。

原宿、千駄ヶ谷、北参道、国立競技場前、どの駅からも10分弱という立地なので行きやすいと言えるか微妙なのにも関わらず、お昼時は行列ができる。今日も12時頃にお店に着いたら10 人ちょっと並んでいた。

時々無性に食べたくなるヨゴロウのカレー。他も美味しいのはわかっていても、いつもほうれん草のチキンカレーを頼んでしまう。濃厚でやっぱり大好き。

お初の友人はキーマカレーをセレクト。2人とも満足。ひとくちシェアしたけれどキーマカレー美味しかったな!煮込まれていたオクラがとっても良いアクセントだった。

最後に会ったのはコロナ禍前だったので数年ぶり。色々と変わった近況とか、周りの話とか、お互いの話をして良い時間だった。

友人が行きたい店を回ったり、夜の予定までゆったり一緒に過ごしたけれど、その移動中や寄った店で何年ぶりかに会えた知人がいたり、私が一方的に認識していた人と偶然合流して面識ができたり。

そういうのが続くときって続くよな、と出会ったときのことを思い返した。ライブに行きつつ旅をして、旅先で出会いがあり、いろいろ繋がっていき、「最初に会ったのいつだっけ」と言えるまでになる。この友人もそのひとり。

正直私は誰とでも仲良くなれる人種ではなく、多少仲良くなれたとしても、本音で話ができたり、長い時間一緒に居られる人はそんなに多くない。だからこういう誘いは本当に嬉しくてありがたいし、今日は特に「人と出会う日」だったのだろうと思う。逃さないでよかった。大事にしたい、タイミング。

久しぶりに福岡行きたい。

店舗情報

ITa FES "the band apart 25th anniversary"

the band apart主催、板橋区とTANITA共催のITa FESへ。

発端は彼らの結成20周年企画だった地元板橋区での野外フェス。諸般の事情やコロナ禍を経て5年越しで念願の開催。the band apartの25周年記念フェスとなり、板橋区とTANITAとの共催として2日間開催された。私は2日目に参戦。

ライブの細かいことなどは、別のブログに書くことにしたので興味がある方がいれば、後日そちらを覗いてみてください。
(基本的に長めの記録用です)

音楽偏愛ブログ「その音楽が鳴るなら

1日目は残念ながらずっと雨で、なかなかの過酷さを伴ったらしいが、2日目は青空が広がっていた。天気予報では14時頃に雨マークがついていることが気がかりだったけれど、10時に高島平駅に着いた頃は既にビールが飲みたくなる陽気。夏みたいだった。

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